230109-230110

230109

 自分が感じていることは皆んなも感じているはずである、といった勘違いをしょっちゅうやる。すべての女性は男性と女性に性的な関心を抱くことがある、とか。すべての人は対人関係が基本的にストレスで、友人であれ恋人であれ、他人と親しくしているということはその人を許しているということだ、とか。当たり前などない、というのを知識として仕入れて以降、おのれの人となりについて把握しやすくなった。話し言葉より書き言葉が好き。普段は音楽に関心がないが、精神が不安定になればなるほど貪るように聞く。寂しがりのくせにヒトが苦手。ヒトにもモノにも依存しやすい。今は砂糖と煙草に依存している。何かひとつのコンテンツに没入することがないので、オタクにはなりにくい。他人に恋愛感情を抱いても、その人とどうにかなりたいとは思わない。自分から他人に近づくことがないわりに、他人に近づいてこられると拒めない。最近それも克服したので、余計に友達ができなくなった。一度信用できないことをされると、徹底的に嫌いになる。不快だった出来事を細かく記憶していて、よく思い出す。正義感が強い。正義感が強いことは美点にも汚点にもなりうることは、最近知識として得た。左翼。寂しさを他人で埋めようとする人のことを馬鹿だと思っている。ノンポリが嫌い。

 ここまでざっと書いて、なんと扱いづらそうな人間だこと、と思った。こんなんなのにニコニコしてるから疲れるんだろうか。最近不快なことが続いて疲れているのだが、抗鬱剤を断薬したせいか、たんにストレスを感じやすいからか、判断がつかない。ただ当然だが、大前提として社会が悪い。長居しても傷つくことばかりのこの業界で生存することを、私なりの抵抗としたいという気持ちがある。すぐにメンタルぶっこわれるからそんな生き方向いてないのに。悔しい。

230110

 仕事が休み。精神の不調ゆえ引きこもる以外の選択肢なし。映画はなんとなく観たくない。今年に入ってから、初めて映像作品を観なかったかもしれない。カメラを買うならどれがいいか調べたり、寝たり起きたり、近藤祉秋『犬に話しかけてはいけない』の続きを読んだり、日記ブログを読み漁ったり、読書会の準備をしたり、小豆を炊いたりした。ぜんざいにしようと思ったが砂糖を切らしていたので、夕方に業務スーパーへ行った。砂糖と牛乳だけ買うつもりが、甘いお菓子をたんまり買い込んでしまった。

 20:00より、ハル・フォスター編『視覚論』読書会。ノーマン・ブライソン「拡張された場における〈眼差し〉」を読む。ラカンの〈眼差し〉についての問題意識や、ブライソンが水墨画を引き合いに出して論じている箇所などに、平倉圭の文章や仕事がしょっちゅう頭を掠める文章だった。普段からあまりにもヒラクラケーヒラクラケーと鳴きすぎかなあと思い黙っているつもりだったのだが、感想を聞かれてつい、ヒラクラケー!と鳴いてしまった。私は平倉圭のただのファンなので、『かたちは思考する』序章の一部分を手書きで引用してトイレに貼っています。

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 次章ジャクリン・ローズ「セクシュアリティと視覚」は私がレジュメを切ることになっているのだが、何が書いてあるのかさっぱりわからない。巻末の解説文によると、原文が非常に読みづらい英文で、かの柴田元幸も「すごい悪文!」と評したそうな。私はくじ運が悪い。誰か助けてください。